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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)4457号 判決

原告

北村勝広

右訴訟代理人

山本政喜

被告

深瀬光男

外二名

右訴訟代理人

中村雅人

右訴訟復代理人

中村順子

主文

一  被告らは、原告に対し、それぞれ金一二三万六四三三円及びこれに対する昭和五六年四月二五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告その余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判〈省略〉

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、昭和四五年五月一日、訴外小倉健一郎から、同人所有の世田谷区梅丘三丁目一六番地七所在の木造トタン葺平家建居宅一棟(以下「本件建物」という。)のうち道路から向つて右側の店舗8.26平方メートル及び居宅16.52平方メートル(以下「原告賃借部分」という。)を、期間三年の約で賃借し、その後期間満了とともに契約を更新し、昭和五五年一月当時賃料は一か月二万三〇〇〇円であつたが、これに居住してクリーニング業を営んでいた。

なお、訴外小倉健一郎は、昭和五四年六月二九日、本件建物を、訴外深瀬八重子(以下「訴外八重子」という。)に譲渡し、右八重子が賃貸人の地位を承継した。

2  昭和五五年一月一八日午後七時ころ、訴外八重子は、本件建物のうち同人及び被告らが居住していた部分の台所で夕食の支度中、来客があつたため、煮沸した天ぷら油を入れた鍋をガスコンロにかけたまま台所を離れこれに応待していたところ、右油に引火して火災が発生し、本件建物は全焼した。

3  右火災は、訴外八重子の重大な過失によつて発生したものである。

4  原告は、本件建物のうち原告賃借部分が焼失したため、次のような損害を被つた。

(一) 金四〇〇万円

原告が顧客より受託保管中の衣類その他の洗濯物の焼失により顧客に弁償すべき金額及び原告の営業用の機械器具焼失による損害

(二) 金三三六万円

本件建物のうち原告賃借部分の焼失により原告が右部分の借家権を失つたことによる損害

(三) 金五五〇万円

本件建物のうち原告賃借部分の焼失により原告はクリーニング業を休業せざるをえなくなり、毎月五〇万円ずつの損害を被つているが、そのうち一一か月分を請求

(四) 五〇〇万円

本件火災により、原告は、永年経営していたクリーニング店の営業所を失い、途方にくれ精神的に大打撃を受けた。その慰藉料

5  訴外八重子は、原告に対し、右損害の賠償をすべき義務があるところ、昭和五五年三月二四日死亡し、被告深瀬光男は夫として、被告深瀬正広、同深瀬幸二はいずれも子として相続により右義務を承継した。

6  よつて、原告は、被告らに対し、各自損害賠償金一七八六万円及びこれに対する不法行為の日の後である昭和五六年四月二五日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。〈以下、事実省略〉

理由

一〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

1  被告深瀬光男及び訴外八重子は、本件建物で八百屋を営んでいたが、訴外八重子は、昭和五五年一月一八日午後六時三〇分ころ、本件建物の同人ら居住部分の炊事場で夕食の支度を始め、七時五分ころ冷凍食品を揚げるためサラダ油約0.4リットルを鍋に入れガスコンロにかけて点火したところ、店に来客があつたので火を止めてその応待をした。その後、訴外八重子は、再び炊事場に戻つて点火したところ、また店のほうに来客があつたので、油を入れた鍋を点火したガスコンロにかけたまま店舗に出て(店舗から炊事場は直接見通しがきかない。)来客の応待をし炊事場に戻つてみたところ、鍋の中の油に引火し炎が三〇センチメートル位上つていた(この間点火してから約一五分位経過していた。)。そこで、八重子は、直にガスコンロの栓を閉じるとともに鍋の上に座ぶとん一枚をかぶせたが、火は消えなかつたので、更に敷ぶとん一枚をかぶせた。しかし、まだ火は消えなかつたので、近所の人々に出火を知らせ、近所の人及び近所の人の通報でかけつけた消防手が消火活動にあたつたが、本件建物は原告賃借部分を含めて全焼した(本件建物が全焼したことは、当事者間に争いがない。)。

二右事実によると、本件建物の火災の原因は、訴外八重子が揚物をするため鍋にサラダ油を入れて点火したガスコンロにこれをかけたまま、八百屋の店舗に来たお客に応接するため炊事場を離れた間に、ガスコンロの火が鍋の中の油に引火したことによるものである、と認めることができる。

ところで、鍋にサラダ油を入れて加熱を続けた場合引火性の強い可燃性ガスを発生しついにはガスコンロの火を引火するに至ることは一般の主婦として容易に予見することができる事柄であり、したがつて、油を入れた鍋を点火中のガスコンロにかけている際に炊事場を離れようとする場合にはガス栓を止めて火を消す等により引火しないようこれを防止する義務があるというべきでありしかも右方法等によりわずかな注意で容易にこれを防止することができたものと考えられるところである。しかるに、前記事実によれば、訴外八重子は点火中のガスコンロに油を入れた鍋をかけたままなんらの措置もとらずに漫然炊事場を離れたため油に引火し火災となつたものであつて、右失火について、訴外八重子には重大な過失があつたものというべきである。

したがつて、訴外八重子は、失火ノ責任ニ関スル法律による免責を受けることはできず、右失火により原告の被つた損害を賠償すべき責任がある。

三そこで、損害額について検討する。

1  顧客に対する弁償金額及び営業用機械器具の損害

(一)  〈証拠〉によると、本件建物の火災により原告は顧客より受託保管中の衣類等の洗濯物を焼失したことが認められ、したがつて、原告は右保管中の品物の時価相当の損害賠償を顧客に負い同額の損害を被るに至つたというべきである。〈証拠〉によると、顧客より申出のあつた焼失衣類等の価額の総額は金一六〇万八六〇〇円であると認められる。しかし、〈証拠〉によると大部分の顧客の申出にかかる金額はその取得価額であると認められるところ、右品物は洗濯物でありその性質上いつたん使用された中古品とみるべきもの(〈証拠〉によつても取得後の経過年月は様々である。)であるから、右金額全額をもつてその時価とみることは相当でなく、右金額の五割である金八〇万四三〇〇円をもつてその時価と推認しこれを弁償すべき額として原告の損害と認めるのが相当である。

(二)  〈証拠〉によれば、本件建物の火災により原告の営業用の機械器具も毀損して使用不能となつたこと及びその毀損当時の時価は金一三五万五〇〇〇円であることを認めることができ、したがつて、原告は右同額の損害を被つたものというべきである。

2  借家権喪失による損害

(一)  原告が訴外小倉健一郎から本件建物のうち原告賃借部分を賃借していたこと及び右訴外小倉が昭和五四年六月二九日訴外深瀬八重子に本件建物を譲渡したことは当事者間に争がないから、訴外八重子は訴外小倉の賃貸人としての地位を承継したものというべきであり、原告は本件建物のうち原告賃借部分につき借家権を有していたことになるのであるが、本件建物の焼失により原告が右借家権を失つたことは、明らかである。ところで、建物について場所的な利益があり対価をもつて借家権自体が取引対象となつているような特別の場合は格別、通常借家権の価値はその賃料相当額と解するのが相当であり、原告の借家権は右のような特別の場合であつたことを認めるに足りる証拠がないから通常の価値しかなかつたものというべきであるが、原告は本件建物の焼失により借家権を失うとともに家賃の支払をも免れることになつたわけであるから、結局、原告は借家権の喪失それ自体によつては損害を被つていないものというべきである。

(二)  なお、原告が本件建物賃借部分の借家権を喪失した結果、他に同等の建物を借り受けるため必要な費用を支出した事実があるのであればその費用を損害として請求することができる筋合であるが、そのような支出をしたと認めるに足りる証拠はない。

3  休業による損害

(一)  〈証拠〉によれば、原告は本件建物のうち原告賃借部分の店舗(以下「賃借店舗」という。)においてクリーニング業を営んでいたこと及び昭和五一年ころから杉並区高円寺の自宅においても原告名義で原告の妻がクリーニング店を営んでおり、両店をあわせた原告の昭和五三年中の営業所得は一五五万七二八五円、同五四年中の営業所得は一五〇万円であつたことが認められる。したがつて、本件建物のうち原告賃借部分が焼失せず原告が賃借店舗で営業を継続することができたとすれば、前記自宅店舗の営業とあわせて少なくとも年間一五〇万円の純利益をあげることができたものと推認することができる。

ところで、〈証拠〉によれば、原告は本件建物の火災後賃借店舗での営業をすることはできなくなつたが、従来賃借店舗で営業していた際の外交の顧客を引き続いて回り自宅のほうで仕事をしていることが認められる。しかし、賃借店舗へ来店する顧客を失いまた経費もかさんでいることが容易に推認することができるし、また、〈証拠〉によれば原告の営業収入は賃借店舗における収入のほうが主であつたことが認められるから、前記賃借店舗焼失により原告が営業上被つた損害としては前記純利益の四割(年間六〇万円)を下らないものと認めるのが相当であり、毎月五万円相当の損害を被つているものというべきである。そうすると、原告の営業損失としては、右金額の一一か月分五五万円と認めるべきである。

4  慰藉料

前記のように本件建物の焼失により原告は営業用の店舗の一つを瞬時に失い、営業にかなりの支障をきたしたことが認められるのであり、これによつて、原告が多大の精神的な苦痛を被つたであろうことは容易に推認することができるところであるが、訴外八重子も本件火災により本件建物及び家財を失つたことは明らかであり(なお、〈証拠〉によれば、訴外八重子は火災保険金四五〇万円を受領したが、本件建物の店舗を改修したときの借入金の返済にあてたものと認められる。)、また、〈証拠〉によれば訴外八重子は心労のため本件建物の火災後間もない三月二四日死亡していることが認められ(訴外八重子が同日死亡したことは当事者間に争がない。)その他諸般の事情を考慮すると、慰藉料としては金一〇〇万円が相当である。

四そうすると、訴外八重子は、原告に対し、右三の1の(一)の損害金八〇万四三〇〇円、同1の(二)の損害金一三五万五〇〇〇円、同3の損害金五五万円及び同4の損害金一〇〇万円の合計三七〇万九三〇〇円の損害を賠償すべき義務があるところ、訴外八重子が昭和五六年三月二四日死亡し、被告深瀬光男は夫として、同深瀬正広、同深瀬幸二は子として訴外八重子の相続人であることは当事者間に争がないから、昭和五五年法律第五一号による改正前の民法により、被告らはそれぞれ各三分の一である一二三万六四三三円(円未満切捨)ずつ訴外八重子の前記債務を承継したものというべきである。

五よつて、原告の本訴請求中、被告らに対し、それぞれ金一二三万六四三三円及びこれらに対する損害発生の日の後である昭和五六年四月二五日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余の部分は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。 (越山安久)

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